カフェ辞苑
2008-06-10T17:00:18+09:00
cafejien
桑原あきらの、おしゃべりカフェコラム
Excite Blog
『やわらかな家づくり』へ
http://cafejien.exblog.jp/8029254/
2008-05-08T15:13:00+09:00
2008-06-10T17:00:18+09:00
2008-05-08T15:13:56+09:00
cafejien
未分類
この度、プロトハウスが提唱する「やわらかな家づくり」に
連動し、このコーナーを『やわらかな家づくり』にリニュー
アル致します。
日本の家づくりについて真面目に考える連載企画です。
また「月の舎」のコーナーは『やわらかな物語』にリニュー
アルします。
こちらは“家”をめぐる連載小説です。
乞うご期待ください!
これからも、どうぞよろしくお願いします。]]>
花粉症と越境汚染
http://cafejien.exblog.jp/7720829/
2008-03-24T17:07:00+09:00
2008-03-25T09:52:26+09:00
2008-03-24T17:07:56+09:00
cafejien
未分類
その日に熱が出て事務局に行くのをやめ、その後は風邪と花粉症
がないまぜになった混沌とした症状のまま今日に至っている。
ようやくひと月が経って痰がおさまり、仕事にも意欲が出て来た
のだが、あの日、車のボンネットの上に嶋模様を描いて堆積して
いた黄砂を思い出すたびに頭がボーッとしてくる。
僕は大学の四回生(関西では年生ではなく回生と呼ぶ)のときに
花粉症を発症した。ちょうど秋の就職活動がはじまったばかりの
頃だったので、ボーッとした頭を初めてのネクタイ姿でなんとか
カモフラージュして面接に望んだのだった。
それ以来だから、もう三十年近く、この体質と付き合ってきたこ
とになる。アレルゲンテストによれば僕は春秋の花粉(杉やイネ
科の山野草など)をはじめ、ハウスダストにもアレルギー反応を
示すらしいが、真冬の室内外の温度差にも反応するので、ほとん
ど年中鼻を詰まらせている。
四回生の頃は、授業に出るのに下宿アパート(キャピタルビジョ
ンという艶やかな名前の男子専用共同風呂&トイレ&厨房付きア
パートだった)から大きなティッシュボックスを持ってきて机の
上にわざと目立つように置いたものである。そうやって自分が花
粉症であることを執拗にアピールしたわけだ。(今思えばそれに
どんな意味があるのか自分でも解らないのだが・・)
何度もティッシュペーパーでこするので鼻の下の皮は擦り切れて
白く剥げ、詰まった鼻腔からは際限なく透明な水がしたたり落ち、
時にはシイタケの足くらいの大きさに丸めたティッシュペーパー
を両鼻に突っ込んでアルベール・カミューについての講義をボー
ッとした状態で聴講するのだった。
あの頃の僕の救いは何かの本で読んだ「アレルギーは生体が示す
過度の抵抗なので、歳をとると抵抗力も落ちてくるからいずれ治
る」という思込み的情報だったが、一向に治る気配がない。まだ
まだ若いのだと思えば幾分自慢げにもなるが、いや実際に杉花粉
の飛散量がピークを迎える頃にはそんなことなど言ってられない。
そこに着て、最近はこの黄砂である。
都市の発展と砂漠化が中国の黄砂を何万倍にも強大なものにして
いく様を想像するのは僕だけでない。昨今は、断流といってあの
黄河が干上がる現象まで頻繁に見られるのだという。
中国には今から二十年前に行ったことがあるが、北京、南京、上
海と巡り、辿り着いた上海のホテルの前でヒマワリの種を食べ捨
てたかどで市民警察のようなおばちゃんにとっつかまり罰金切符
を切られたことを今も鮮明に記憶している。厳密には僕ではなく
僕らと同行していた旅行者が捨てた種が罰金の対象になったのだ
が、僕ら日本人が小太りのおばちゃんに罰金切符を切られる様子
をグルリと取り囲んで観ていた群衆は、その瞬間に、ガハハハハ
ッという怒濤のような太い笑い声の塊を発したのだった。
中国と言えば、このガハハハハッと自転車の濁流をかき分けて猛
スピードで道をゆくタクシー(僕らが乗ったタクシーはなんとシ
トロエンだった!)を思い起こす。
黄砂は中国上空で様々な窒素酸化物などの大気汚染物質を付着さ
せて日本に飛んでくる。餃子は空を飛ばないからそんな心配は不
要だが、僕の頭の中に浮かんだ黄砂のイメージ画像の上に毒入り
餃子がオーバーラップする。これくらい気にするなよ、ガハハハ
ッ! なんて軟弱な民族だガハハハッ! そんなノイズがイメー
ジ画像には付着している。
ウー、大陸的ダイナミズムに負けてなるものかと島国育ちの頭の
隅で思考するものの、その肝心要の頭がボーッとしていてうまく
機能しない。
地球はひとつながりなんだと思い知らさせる。対岸の火事なんて
あり得ない。
このような環境汚染を越境汚染と言うらしい。かつての高度経済
成長で日本もさんざん自国民を汚染した苦い経験を持つのだから、
その教訓をなんとかうまく伝えたり共有したりできないものか。
ガハハハハッ! そんな手には乗らないよっ!! 市場経済優先
の風潮の中、歴史は繰り返す。
人間が同じ過ちを繰り返すのは、誰にも止められないのか?!]]>
春よ来い。
http://cafejien.exblog.jp/7612855/
2008-03-06T23:47:00+09:00
2008-03-06T23:49:23+09:00
2008-03-06T23:44:19+09:00
cafejien
未分類
田んぼ1反ほどもある家の敷地は、西側が国道に、東側が町道
にそれぞれ十メートルほど接道していて、その十メートルが約
百メートルほど細長く横に伸びた形になっていた。
かなりの長方形だが、家は国道側に建ち、西側には納屋(これ
を僕らはドウジと呼んでいた)と豚小屋が向き合うように建っ
ていた。
午後五時三十分を過ぎると父の運転するホンダ・ライフが突然
すごいスピードで国道側の正面入口から庭に突入してくるのが、
大相撲場所が開かれているときの我が家のお茶の間風景だった。
引戸から僅かな玄関土間で居間につながっていた旧家は、細長
い庭に面し、その庭はイコール父のための車道でもあったので、
ウインドウピクチャーのようなお茶の間風景の額縁の中を父は
勇ましく疾走していくのだった。
勤め先の小学校から猛スピードで帰宅した父は最もテレビが見
やすい定位置に座るやいなやじっと画面の大鵬に見入るのだっ
た。テレビはまだモノクロで、夏は蚊取り線香とハエ取り紙が、
冬は練炭の窒息しそうな怪しい臭いが季節感を醸し出していた。
庭にして車道のような細長い砂利敷の端にはコンクリートブロ
ック塀に寄り添うようにさらにやせ衰えた日本庭園があり、そ
こにニョキっと棲息する楠木にのぼって僕は庭の前に広がる田
んぼを見るのだった。
冬の田んぼはソフトボール場であり、初夏は水盤となり、夏は
緑田となって風に瑞々しくそよぐのだった。
田んぼは我が家の敷地と同じ1反の細長いものが二つ横に連な
り、その間を畦道が走っていた。その畦道は田んぼの泥を上げ
たものだったが、その畦道が行き着く国道も町道もまだ砂利道
だった。昭和三十年代では市内を走る主要道路である国道がま
だ砂利道なのも、そんなに不思議な光景ではなかったのではな
いかと思う。
国道側の家の軒先にはイチジクの樹が茂り、バキュームカーの
運転手がそのよく赤く熟したイチジクの実を欲しがって庭先に
現れ、美人の母に陽に焼けた太い顔でねだると、「あら、よか
ですよお!」と母も熱い声で応えたものだった。
あらゆるものに生気が宿り、明日に向かって向日葵のように華
開く時代だった。
僕は痩せ庭の楠木に登ってゴム銃で雀に狙いをつけ、鋼鉄の玉
を弾いた。銀色の弾丸は唸るように空中を貫き、雀の腹にぐさ
りと突き刺さったように思えた。雀は田んぼにスーと降りてい
ったが、後で不時着したと思われる地点に駆け下りてみると、
雀の影も形もなかった。
僕はゴム銃が得意ではなかった。裏山に年上の友だちと駆け上
がり、ゴム銃を握りしめて小高い草叢に滑り込むように隠れる
瞬間の映像は、今も何の気なしに不意に脳裏に蘇る。あのとき
の春の山の臭いが鼻腔に焼き付いて離れない。
今、庭の先にあるのは家ばかりだ。そこには水田も緑田もソフ
トボール場もない。子供たちはどこで遊ぶのだろう。この場所
はまだ郊外で庭先にメジロもやってくるが、それを射るような
悪童はいないだろうなあ。
]]>
出会いの場へ
http://cafejien.exblog.jp/7501985/
2008-02-18T18:59:00+09:00
2008-02-18T19:04:04+09:00
2008-02-18T18:59:12+09:00
cafejien
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ジュリアさんと温ちゃんちへ。
イギリスのRCA(ロイヤルカレッジオブアート)ヘレンハムリンセンター
の研究員を勤めるジュリア・カセムさんといっしょにお馴染み温ちゃんち
へ。
玄関土間でちょっと立ち話するジュリアさんと温ちゃんママ。
温ちゃんが座っている車椅子や歩行器(ハートウォーカー)のデザインに
ついて、もっといいデザインがあればみんなもっともっと使うのにねえと
いう話題になった。
ジュリアさんはイギリスで企業とのコラボでいろんなデザイン開発にも携
わっているので、そんな視点からも具体的なアドバイスが。また、障害児
を子供に持つ親の連携にはインターネットが不可欠なので、その部分のア
ドバイスも熱く語っていたのが印象的だった。
いかにも障害者用というデザインではなく、誰の目にもグッドデザインで
あることが重要なのだと語るジュリアさん。ユーザー参加型のインクルー
シブデザインでは、この視点でのデザイン開発が必須なので、この出会い
が縁となって、一日でも早く、日本の車椅子メーカーとのコラボでグッド
デザインな車椅子や歩行器ができないものかと想像するのだった。
新しい出会いの場へ。そこが僕らの行く場所なのだと思う。]]>
インクルーシブデザインのワークショップレポート2
http://cafejien.exblog.jp/7410579/
2008-02-04T22:12:32+09:00
2008-02-04T22:12:33+09:00
2008-02-04T22:12:33+09:00
cafejien
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2月3日(日)は九州大学USIにおいて第二回目のインクルーシブ
デザインのワークショップが開催されました。
一回目の反省と新たな研究視点から、今回はユーザーのニーズをい
かに引き出すかにフォーカスした内容になりました。
そこでブルーシートを用いユーザーのニーズをグルーピングしてい
き、結果的には空間ゾーニングとして幾つかの「場」をイメージで
きるところまで行きました。
前回に引き続き二度目のワークショップでしたが、建主候補の皆さ
んは根気よくお付き合いいただきました。結果としては、より一層
各ご家族が抱いていらっしゃるニーズが浮き彫りにされたように思
います。
最後は建築家と建主さんがそれぞれ今回のワークショップの感想を
述べ、「神様も登場したで賞」などといったユニークな参加賞を受
賞! 家づくりに際してどのような思考が働くのか、建築家も建主
さんも大いに参考になったのではないでしょうか。
このワークショップの成果を元に4月には各建築家がリアルな住宅
プランを発表する予定です。イベントの日時が決まりましたらサイ
ト上で発表しますので、九州にお住まいの方はぜひご参加ください。
イベントでは、ユーザー参加型のデザイン開発手法のことや、この
ワークショップのプロセス、そしてその結果、建築家がどのような
キーワードを抽出し、そこにどんな個性を色付け、各自のデザイン
プランとして提案するのか、果たしてそのデザインはこれまでの建
築家の提案と異なったプレゼンテーションとなっているのか! そ
んなことをご覧いただけるものと思います。
では、どうぞご期待ください。]]>
インクルーシブデザインのワークショップレポート
http://cafejien.exblog.jp/7360705/
2008-01-28T17:12:27+09:00
2008-01-28T17:12:27+09:00
2008-01-28T17:12:27+09:00
cafejien
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1月27日(日)は九州大学USIにおいてインクルーシブデザインのワーク
ショップを行いました。場所はルネットという九州大学のサテライトスタ
ジオです。僕はUSIのアドバイザーなので、この企画のプランニングやコ
ーディネートをしています。
今回のイベントでは、インクルーシブデザインの手法を日本の家づくりに
活用できないか? というもの。九州大学が連携しているロイヤルカレッ
ジオブアート(RCA)のヤンキー・リーさんがコーディネーターとなって
会が進行。まずはインクルーシブデザインとは何かという座学を、今回ご
協力いただいた建主さんと建築家が受講しました。
それから建築家が現在行っている設計プロセスを建主さんに説明し、それ
に対する建主さんの感想を建築家がプレゼンテーションしました。
建主さんの好きなイメージや嫌いなイメージを確認。
建築家もお手伝いします。
大切な物を新しい家の中にレイアウトしていきます。
レイアウトができたら、いよいよ立体化していきます。
インクルーシブデザインはユーザ−参加型なので、建主さん自らが好きな
位置に好きな窓を描いたりします。
本当に建てたい家を自由に想像&創造する瞬間です。
でも建築家が思わず手を動かし、慣れているのでついつい描きはじめて
しまう一コマも!!
こんな形の模型ができました。
もちろん、まだまだ未完成ですが、建主の心の中に眠っていたニーズが
あふれんばかりに詰まっています。
最後はワークショップらしく、参加者全員への表彰式です。
「プロに徹したで賞」や「ご夫婦で妥協したで賞」など、ワークショップ
の経過をうまく賞にしてあって、ヤンキーさん、お見事!
次は2月3日に第二回目のワークショップを行い、建主さんのニーズを十
分に確認した上で、4月に建築家のアイデアをプラスして、具体的な住宅
プランがプレゼンテーションされます。
建主参加型の新しい、そして楽しい家づくりのプログラムづくりになれば
と思っています。
皆さん、本当に満足できる家に住みたいですものねえ!!
プロトハウスでは、このプログラムづくりで学んだことを、より日本的に
アレンジし、ユーザー参加型の住宅づくりをコーディネートしていきます
ますので、ぜひご期待ください。]]>
朝ごはんが美味しい12軒の幸福な家づくり
http://cafejien.exblog.jp/7286810/
2008-01-17T11:26:28+09:00
2008-01-17T11:26:28+09:00
2008-01-17T11:26:28+09:00
cafejien
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今年から、カフェ辞苑の書き方を“普通に”戻して、まあ気軽な日記形式と
いう、本来のブログ形式にしたいと思っております。
で、表題の「朝ごはんが美味しい12軒の幸福な家づくり」ですが、これは近
々はじまる「いい家づくり学習所」という新たな取組みの中で、プロトハウ
ス事務局として開く学習所のタイトルなんですね。
「いい家づくり学習所」とは、建主が「いい家」をつくるための基礎的な知
識や知恵を学ぶ場をつくろうということで、プロトハウスが事務局になって、
各建築家がそれぞれ学習会を開こうというものです。
さっそく丸谷博男さんが2月からこの学習所を開きますので、ぜひご参加いた
だきたいと思っています。
「朝ごはんが美味しい12軒の幸福な家づくり」では、今までにプロデュースし
た12軒の住宅を改めて取材し、家づくりのプロセスの中で建主が感じたことや
完成した住宅でどんな暮らしが営まれているのか、また、もうすこし改良の余
地があったらどんな家にしたかったかなど、これから家づくりを考えている方
に実践的なノウハウを伝えようという企画です。僕が取材し、このコーナーで
も紹介していきますので、しばしお待ちください。一応、2月から、福岡と東
京でこの「朝ごはんが美味しい12軒の幸福な家づくり」のことをお話しする学
習所を開きたいと思っています。
朝ごはんが美味しい家は、きっと家族の仲がいい家。家族が健康であることを
考えた明るい家です。そんな幸福な家をどうすればつくることができるんだろう!
なんてことを伝えたいと思っています。
今日はちと風邪気味なので月の舎でストーブに当たりながらブログ書いたりし
ています。左側頭部に頭痛があり、やや憂鬱なれど、今年は肩の力を抜いてじ
っくりいこう、などとまたまた真面目に考えています。
今年は、他にも「地域スタイルの家」という企画も進めていきます。これは今
までの住宅企画づくりとは視点を変えたユニークな取組みです。これも春には
発表したいと思います。
今年もじっくりゆっくりスローハウジングでいこうと思います!]]>
【椅子日和】
http://cafejien.exblog.jp/7106857/
2007-12-21T17:13:55+09:00
2007-12-21T17:13:55+09:00
2007-12-21T17:13:55+09:00
cafejien
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…ねえ、腰掛けてよ〜、と椅子が呼ぶ声がする穏やかな一日。
<例のコラム>
椅子が呼んでいる。
「ねえ、腰掛けなよ〜。すこしは休憩してさあ〜、ほら楽だよ、気持ちいいよ〜」
そんな幻聴が聞こえてくるような、癒し系の椅子でしょう!!
これは大川にある広松木工の自信作。
久しぶりに広松さんに行ったら、やっぱりこの椅子が良かった。
上はベンチタイプで、下が独り掛け用の椅子。
手の温もりが伝わってくる。樹種はパイン材。足はスチールもアイアンもできる。
カフェでも使えそう!
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【教育遺伝子】
http://cafejien.exblog.jp/7100371/
2007-12-20T17:43:45+09:00
2007-12-20T17:43:45+09:00
2007-12-20T17:43:45+09:00
cafejien
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<例のコラム>
父は教育者だった。
小学校で三十数年教壇に立った後で大学で学生たちに教育の
現場を教えるためにさらに数年大学の教壇にも立った。
その教育者としての遺伝子が確かにあるらしく、僕も人に何
かを教えるのが好きなようだ。先日も、ある建主候補の方がい
らっしゃった際に、あまりに詳しく建築家との家づくりの大切
なポイントを語ろうとする僕を見て、傍でそれを見ていたスタ
ッフが後でいい意見をくれた。建主候補は“お客様”として来
場しているのに、それに対する僕の態度は客扱いではなく、教
え諭すという感じだったので、お客さん的には違和感があるの
ではないか、というのだ。
なるほど! もっともだ。気をつけよう! と素直に納得す
ればいいのだが、そこがどうもうまくいかない。そもそも僕は
建主候補者をお客様とは思っていない節がある。お客様とは思
っていなくて、「共鳴関係にある人」というような感じになれ
ればいいなあ、と思っているのだ。そこで、ついつい良かれと
思って「いい情報」を教えてしまう。
今日は、九州大学の学生たちに講師として「いい情報」を教
えてきた。
年に数回、こうやって学生たちに家づくりの「いい情報」を
教えるのは僕にとっても情報を整理するいい機会なので役に立
っている。
今回の講義の内容は「スローハウジング/失われたプロトハ
ウスを求めて」。フランスの文学者プルーストの「失われた時
を求めて」にひっかけたタイトルである。
僕の推進している活動を、日本の家の失われた基本形を探し
求めるものとして位置づけ、そのために雑誌をつくったり、著
作活動をしたり、マッチングシステムにインクルーシブデザイ
ンの手法を取り入れたりとしてきた足跡を語り、その都度の気
づきと新たなチャレンジがスタートしたことに言及した。実際
にプロデュースした住宅をスライドで見せながら、その隠れた
顛末となぜそうなったのかという人生のシナリオについて触れ
家づくりの可能性と未開の部分を語った。大戦とその後の高度
経済成長を経て失われていった日本の住宅の在るべき原形は果
たして再生されのか? 僕の教えの上に、学生たちがさらなる
イマジネーションを描くことを僕は期待して、そのヒントとな
るような発想の着眼点をちりばめたつもりだが、うまくいった
かどうか?!
ただ僕の教育遺伝子だけは、そのとき活発に自律運動してい
たことだけは確かな事実である。
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【限界集落】
http://cafejien.exblog.jp/6973380/
2007-12-02T15:20:08+09:00
2007-12-02T15:20:08+09:00
2007-12-02T15:20:08+09:00
cafejien
未分類
<例のコラム>
テレビのサンデープロジェクトで「限界集落」について報道していた。
人口に占める老人の比率が高くなり、経済活動にも影響を及ぼしてもは
やその集落の存続が危ぶまれるようになった状態を限界集落という。
くだらないバラエティ番組や似たようなニュースが連呼するように垂れ
流される時代、テレビの真価が問われている。もっとこんな本当の情報
価値の高い報道こそが欲しいものだと考えさせられる内容だった。
番組では、日本の食料自給率が40%を割って、39%になったとも報じ
ていた。やがて水不足が地球規模の深刻な事態を招くだろうと指摘する
専門家もいるが、食料と水は切っても切り離せない。この先、この国で
は安定した食生活が約束されるのだろうか。
番組では、限界集落に陥った主因が国の林業政策にあるとし、補助金目
当てに地方の市町村が天然の広葉樹の森を切り開き、次々に針葉樹を植
樹していった事実を挙げた。その挙げ句、林業政策の行き詰まりでお金
にならなくなった針葉樹の森が放置され、台風でもないのに土砂崩れが
起っているということを伝えた。
針葉樹の森とは、杉や檜を人工的に植樹した森のことである。杉や檜は
無垢の構造材として「地元の木で家を建てる運動」や「地産池消活動」
の一環として、今でも“国産材にこだわる”工務店などによって使われて
いるが、おそらくそれでは需要供給のバランスを保つという経済レベル
にまでは追いつかないのだろう。経済という視点では、一般的にはどう
しても、価格的に安い外材が使われがちなのである。また、性能という
点では、カナダ栂や米松などのほうが強度的に構造材には適していると
指摘する工務店もある。
いすれにしても、20年後、30年後を見誤った林業政策のツケが巡り巡
って限界集落は誕生したのだろう。この根本には、日本という国をどう
創造していくのかというビジョンが不可欠である。そこには、森林国で
ある日本の国土や自然環境の中では、どのような住宅を建てることがい
いのかということと、どうも右に習え的模倣習慣のある国民性という二
つの側面を見据えて想像をすることが必要であったと僕は思う。つまり
ダイナミックなマーケティングとそれに基づく商品開発の思想が不可欠
だったのだが、誰もそんなことはしなかったし、今もしようとしていな
い。問題が顕在化してから後追い的に法律が変わるのは、建築基準法も
薬事法も同様である。官僚は他人事でしか物事を想像できず、偏った専
門家の声しか官僚の先の立法には届かない。
もっと現場の人の意見に耳を貸すべきなのに、この国ではそんな簡単な
ことさえできない。年末になると予算消化のために道路が掘り起こされ
る非効率的は贅沢ではなく国を脆弱化させるものなのに、数字を優先す
る行政とその甘い習慣の下でしか温々とできない土建体質も、その先に
限界集落を描いてはいないだろうか。
「200年住宅」という施策を国が推進しようとしているという記事を最
近読んだが、ここでも「200年」という数字だけが先走りしないことを
願う。大切なのは、この国の気候風土と国民性を鑑みた現場の知恵を活
かした商品企画だ。
番組では、ある村が国の押しつけのような林業政策をつっぱね、独自の
「複合経営」という理念をかかげ、針葉樹ではなく広葉樹の森を増やし、
シイタケや栗や茶などを生産できる“複合的な森”づくりを進めた結果、
近隣の市町村が限界集落を多く抱えるのに対し、その村だけは限界集落
がひとつもないことを報じていた。ある一人の森林組合長が断固として
国の意見に首を縦にふらず365日事務所に泊まり込んで森づくりの在り
方を村民とともに考えたたのだという。その強烈なリーダーシップに涙
もろい僕は感動の涙をうっすらと浮かべつつ、「シイタケの生産日本一」
にまでなった我が村の今と歴史を誇らしげに語る元気な村民たちの笑顔
をブラウン管越しに観たのだった。この素敵な笑顔たちに比べ、殺風景
な事務室の中でインタビュアーに対し「これだけの木材生産ができるだ
けの林業政策を実現できたのだから、我々の政策は決して間違ってはい
なかった」と語る林野庁の職員のなんと力のなかったことだろう。
その小さな村の森林組合長の想像力は、林野庁のエリートたちの想像力
を遥かに超えて豊かだった。その村の人は誰しもがその男のことを尊敬
しているのだ。
「あの人がつくった森で、僕らはこの土地で獲れるものをしっかりと作
り続けるだけです」
と笑顔で語り、シイタケ栽培農家の人はこんもりとした森を見上げた。
非専門家に、紙の上の数字だけを追わせる想像力の欠片もないこの国の
限界は、今、至るところで噴出している。
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【カフェのある町】
http://cafejien.exblog.jp/6868176/
2007-11-18T00:38:00+09:00
2007-11-18T00:52:56+09:00
2007-11-18T00:38:18+09:00
cafejien
未分類
<例のコラム>
建築家の瀬野和広さんのブログで今、「カフェのある町」についての
意見交換が盛り上がっている。
瀬野さんの友人が所有するという湖畔の700坪の土地の有効利用
をめぐって僕が提案したら、意外に反響があったのだ。
実はこのコンセプト、数年前に有田町で講演した際に町の役場の人
と会話しているときにひらめいたもの。有田町の町営の分譲地の販促
方法で何かいいアイデアはないものかと問われて即興で答えたのだ
った。
何故、有田だから「カフェのある町」なのか?
有田ならば焼き物がある、その焼き物を使えば町起こしにもなるし、
実際に焼き物は売れ、それに気をよくした窯元と流通業者もカフェを
利用するだろうし、一石三鳥くらいの波及効果があるんじゃないです
かあと自慢気味に僕は呟いたのだった。
だが、「カフェのある町」なんて突飛なコンセプトで募集をかけたって
人は集まるだろうか?
実は、「それが集まるんですよお!」という勝算もあったのだ。
弊社が運営するカフェコワンをスタートさせたときが、まさにそうだった。
実際にカフェを運営したことがなかったので「東京カフェマニア」という
サイトに事情を話して「カフェのオーナー募集」という告知を載せていた
だいたら、来た来た来た〜!!! なんと十数組もの人が「カフェしたいで
す〜!」と押し寄せてきたのだ。ここは表参道かあ〜!と思ったほどの反
響だった。神田ですよ!神田!その頃オシァレなカフェなんて1軒もなか
ったんです、神田には!それが来るは来るは!それも皆さんなかなかいい
アイデア持参で「私ならこんなカフェやりたいい!!!」と意欲満面である。
そのとき僕は思った。スキあらばカフェを開業したいという人のなんと
多いことか!
その後、実際にカフェコワンの運営は斉藤さんというソムリエにしてバリ
スタ、しかも当時若干28歳の男性に決まったのだが、その運営の方法
や金銭的な実情を聞くにつれ、これは個人が自宅でやるにはなかなか
理想的なビジネスモデルではないか、という感触を掴み、その具体的
な仕組みを暖めていった次第。
この背景をもって僕は、勝算を胸に抱いたのだった。
だが、有田町での企画は例によって町長選挙で話そのものがお流れに
なったのだが、僕は密かに心にこの企画を温め続けていた。
この「カフェのある町」、有田だけでなく、いくつか与件が揃っていれば
どんな場所だろうが、シナリオを描くことができる。
もちろん課題もあるが、そこにどんな登場人物を配するかで、幾つかの
シナリオを描くことができ、その複数のシナリオ一挙に解決するマルチプ
ルなアイデア(ポリシー)で一つの物語を完成すれば、その続編としての
実際の町の活動(暮らし)はスタートする。
つまり、ソフトこそが、このコミュニティづくりの最大のテーマなのだ。
要は、どんな登場人物たちが集まってくるのか、ということ。
この町づくりはドラマなのだ。]]>
【100万円で人生をやり直す方法】
http://cafejien.exblog.jp/6808226/
2007-11-10T11:34:00+09:00
2007-11-11T10:36:22+09:00
2007-11-10T11:34:00+09:00
cafejien
未分類
<例のコラム>
地下鉄大手町駅に向かう鎌倉橋の上には都市高が走っている。その巨大
な橋桁の下に設けられた蛍光灯の灯りを頼るようにある男が鎌倉橋の上に
住みはじめたのはいつのことだろう。内神田一丁目にカフェコワンを開いたの
が二年ほど前になるが、そのときには男はもうすでに橋の上で路上生活をは
じめていた。
男にとっては、硬いコンクリートの歩道が床であり、都市高の巨大な建造物
が頭上を堅牢なまでに守ってくれる天井だった。
昼間、男は街を歩き回り、食べられる物をかき集めてきては、夕方から定位
置に陣取って、拾ってきた雑誌に載っているクロスワードパズルに興じるのだ
った。そうやって時間を費やすことで、ときには餓えを、ときには寒さを、ときに
は気分そのものを都会の闇の中に埋没させているのだ、と僕は思った。
大手町駅に向かう途中で、僕は何度もクロスワードパズルに集中している男
を見た。夏は歩道に座り込み、冬は立って小刻みに体を揺り動かしながら黙々
と、男はクロスワードパズルが載っている雑誌を片手で丸めて持ち、何ごとが小
声でつぶやきながら、そこに居た。その姿は新しい宗教の、今までには見たこと
もない新しい修行に打ち込んでいる僧侶にようにも見えた。寡黙な尊厳のよ
うなものが男の背中に漂っていたのだ。
僕は、想像した。
ある金持ちがこの道を通りかかり、その男にポイっと100万円を差し出して
「大変失礼な提案かもしれないですが、これであなたの人生をやり直すことが
できないだろうかと考えてみたんです。何度も言おうか言うまいか悩みました。
こうして声をかけること自体があなたのプライドを傷つけるのであればどうか
許してください。でもどうしても提案したくなったんです。このお金であなたの
人生をやり直すことができるものかどうか、それを見ることができれば、僕も
救われると思ったのです。どうでしょう、このお金を受け取ってもらえないでしょ
うか」と語りかける場面を。
100万円を提供しようと語りかけた男の正体や、それまでの人生とこれからの
人生、それに男がお金を受け取るのか、そしてその100万円で人生をやり直せ
るのか、男が人生をやり直したときに、100万円を提供した男はどんな場面に
立ち会っているのか。
僕は鎌倉橋の上でクロスワードパズルに目を落として立ち尽くす男を見るた
びに、そんな物語を想像しては、その先の顛末を勝手に思い描くのだった。
今日、久しぶりに彼の姿を路上で見た。
彼はクロスワードパズルの文字組の迷路の中に、いつものようにたたずんでいた。]]>
【想像力】
http://cafejien.exblog.jp/6790276/
2007-11-08T00:22:00+09:00
2007-11-08T01:17:02+09:00
2007-11-08T00:22:23+09:00
cafejien
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<例のコラム>
テレビで舛添大臣が「官僚にも想像力を養ってほしい」と発言していた。
今回の薬害C型肝炎訴訟にまつわる一連の騒動を背景にした指摘だが、
それから、今日原告の人々と初めて会い涙を禁じえなかったと訴えたまで
は「かつての管直人大臣の再来」的イメージで共感もしたのだが、その
直後「ですから国民の皆さんにも税負担などでご協力をいただくことにな
ると思うのでよろしくお願いしたい」「この負担を国民一人当たりに換算す
ると約200円程度になります。これで救われるのだから」という発言は、
まったく想像力がないものだった。
では、このような問題を引き起こした官僚や製薬会社の責任はどこにあ
るのか、それはそのまま放っておいていいのかと僕は素直に思った。
被害者の人たちは、もちろん保証も求めるだろうが、自分たちにこのよう
な人生を強いた国や製薬会社にどんな形であろうがまずは責任をとって
ほしい(とりわけ今すぐに謝罪してほしい)と望んでいるのではないだろうか?
自分の体を元に戻してほしいと叶わぬまでも切ない望みを胸に抱いてい
るはずだ。
この大臣の発言を聞きながら僕の頭の中に浮かんだ映像は、今までと
何ら変わることなく、人の生き死に関する仕事を、まるで他人事のように、
まったくの真剣味も感じさせることなくのんべんだらりとこなす厚生労働省
の官僚たちの姿だった。責任を取らないということは、責任をとらせないと
いうことは、そんな鈍感な人々や制度を世にはびこらせ続けることを意味
する。そんなことさえ想像できない大臣が、官僚にいくら想像力を養えと言
ったところで説得力のかけらもない。
僕には舛添大臣の姿はただのパフォーマンスにしか見えなかった。(そ
のパフォーマンスの向こうに彼は自分が総理大臣になって記者会見して
いる場面でも想像しているのだろうか?)
想像力を持って、この訴訟の行方を見守りたいと思う。
この国の想像力が乏しいことは、今にはじまったことではないが、本当
の意味で日本のオリジナリティを再生し、独自の文化を醸成していくには
今こそ教育の中に想像力を養うカリキュラムを取り入れるべきだと思うの
だが、安倍前総理が自信を持って進めようとした教育改革にも、その件は
欠落していた。無理もない。想像力のない人たちが官僚的発想でもって三角
を四角に変えるべきでしょう程度の平面的な改革を整理しようとしていたの
であって、立体的にリアルに人の姿を想像しそこにどんな刺激を与えれば
どんな風に反応するぞ的な構成作家のような物語の発端から顛末までの
シナリオを描く想像力は働いていないのだから。
小学生の時点に戻ってそこから想像力豊かな人材を育てないことには
この国は変わらない。官僚も、そこから再教育するしかない、と僕は極論
的に想像してしまう。
僕が文部科学大臣だったら、小学校の教育に演劇と建築を取り入れたい
と思うが、どうだろう?
生活の舞台となる住空間をつくり、そこでどのような物語が起こり、誰が
いつどんなことをすれば、誰がいつどんな目に遭うのかという悲喜劇を追
体験しておけば、現実に悲劇が起こってもその結末をどのように描けば人
として気高いのか、それくらいの想像はできるようになるだろう。]]>
【男旗】otokogi
http://cafejien.exblog.jp/6441647/
2007-09-28T18:15:00+09:00
2007-09-28T18:23:17+09:00
2007-09-28T18:15:38+09:00
cafejien
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<例のコラム>
「いや〜医療ミスで大変だったんですよ。何度も入退院を繰り返し
てましてねえ、それでやっと退院してきたばかりなんです」
そう言って、電話の向こうで男の太い笑い声がした。
それから一週間も経たないのに、その人が亡くなったという連絡を
僕は受けた。
「うそ! だって元気そうだったよ!」と僕は言ったきり、しばらく言葉が
出なかった。
亡くなったのは、付き合いがあった工務店の社長さんで、当人の説
明の通り、医療ミスが原因だったらしい。
この人は男旗を感じさせる人だった。建築家の紹介を受けてコワン
でお会いしたのだが、一見すると職人気質でとっつきにくそうなのに
僕の話をじっくり聞いてくれて自分なりに納得されると大きく頷いてい
らっしゃった。はにかんだ笑顔がチャーミングだった。
この出会いから半年も経たないうちに、この人が死ぬなんて誰が想
像しただろう。
会ったその夜、これから皆で飲もうということになったのだが、その人
は、還暦を迎えた年齢なのに、これから○○○(名前は忘れたが、確
か有名な外人女性シンガーだった)のコンサートがあるので申し訳ない
ですねえと言って先に店を出て行かれた。僕はドアのところまでその人
を見送り、握手を交わしたのだが、それが最初で最後の、その人との
握手となった。
その人は、群馬県でバウハウスという工務店を経営している岩上玉男
さんで、その工務店のサイトで紹介している住宅のほとんどは岩上さん
のデザインによるものだが、いずれも温かな味のあるデザインになって
おり、その家に住まう人はこの上ない心地よさに包まれているに違いない
と僕は思った。
岩上さんの中には、自分が成し遂げたい夢のタイトルを書いた旗が揺
れていた。そこには「いい家をつくりたい」と書かれていた。その旗を観た
人たちが彼の周りにやってきて会社をつくり、家づくりを注文した。旗は
男の志を映して輝きを放ち、それが男を面白くも魅力的にも見せるのだ
った。それはちょっと話しただけの人にも感じることのできるものであり、
それを持つ人を僕は密かに男旗のあるヤツと呼んだ。
それは誰がなんと言おうと、こうと決めたらその道を進む、責任感と自信
に満ちた旗だった。そこにはなんの迷いも躊躇いもなく、一つの二言もな
かった。
僕は今までそんな男には数人しか会ったことがない。
岩上さんは、医療ミスのことは話してくれたものの、おそらく本心では、
そんなに怒ってはいなかったのではないかと思う。電話の向こうの声の調
子が、バルセロナオリンピックのマラソン競技で転んで靴が脱げた谷口浩
美が「いやあ転けちゃいましたよお」と笑いながら言ったあの感じに似ていた。
「いやあ、医療ミスに遭っちゃいましたよお」そんな感じで言った男の声は
太く笑っていた。
もしかしたらこのとき岩上さんは自分の死を予感していたのかもしれない。
心のどこかで「死」という文字を書いた旗が揺れているのをちょっと感じて
無理に笑ったのかもしれない。
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【曲月/kusezuki】
http://cafejien.exblog.jp/6223064/
2007-08-28T17:26:06+09:00
2007-08-28T17:26:06+09:00
2007-08-28T17:26:06+09:00
cafejien
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<例のコラム>
飛行機に乗るときにはいつも非常口の通路側と決めている。背が高い
ので足を伸ばしたいのが第一の理由だが、心の片隅にはこんな理由も
呟いている。
「いざ有事というときに僕は黙って見ておれない質なので、非常口に座っ
ていたほうが率先して避難活動に参加できるからな〜」
ということで、その日も非常口通路側を指定しようとしたのだが、あいに
く通路側が空いていなかった。
「窓側でもいいんですが、足を伸ばせるスペースはありますか」と僕。
「ご登場いただきます機は非常口の座席の前がでっぱりなどがないタイ
プですので・・・」と答えたのは、登場手続きをしてくれた窓口の女性。
このような経緯があって、僕はその日、非常口窓側の席に座ったのだっ
た。
久しぶりに乗る窓側は、快適だった。
離陸後、外に目をやると、曲がった月が窓ガラスの向こうに見えた。ガラ
ス越しなので曲がってみえるのだろう、と僕は思った。曲がった月だから
「曲月/くせづき」なんてネーミングはどうかな、と頭で呟きながら、僕は
空港の売店で買っておいた弁当を食べた。ちゃんと味付けされた野菜の
炊き合わせなどが入っていて美味い弁当だった。お茶は黒豆茶。空港の
あの売店では黒豆茶と、僕は決めている。
弁当を食べ終えると昨日日本橋の書店で買っておいたよしもとばなな
の文庫本を読んだ。癒しを求めるときにはばななに限る。読みやすい割
にシンプルな哲学性みたいなものを感じさせてくれる。
そこで僕はまた外を見た。
曲月は、ここが自分の定位置だといわんばかりに窓ガラスに映っていた。
月は飛行機の後をずっと追いかけているように思えた。
若い男女が主役の幽霊が出てくる話を読み終え、僕はしばらく目を閉じ
た。しばらく、のつもりだったのに、次に目を開けたときには、今から着陸態
勢に入りますという機内アナウンスが聞こえていた。
飛行機はぐんぐん高度を下げていき、滑走路にあとわずかというときだった。
僕は曲月の正体を知った。
僕が窓の外に目をやると、飛行機の翼が眼下の町の灯りの中に、その黒い
輪郭を浮かび上がらせたのだった。上空で窓の外に映る暗闇と思って見てい
た部分の多くを飛行機の翼が占めていたのだ。
その翼の先に曲月がくっついていた。
それは、飛行機の翼の位置を示す常夜灯だった。どうりでちょっと曲がってい
たのだ。
今日、僕は自分のクセに従っていくつの思い込みをしたのだろう。こんな勘違
いが、他にもあったかもしれない。
クセは曲者。曲月を観たら、勘違いして生きていないかすこし振り返ってみる
ことにしよう。]]>
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