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2007年 12月 21日

【椅子日和】

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…ねえ、腰掛けてよ〜、と椅子が呼ぶ声がする穏やかな一日。

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by cafejien | 2007-12-21 17:13
2007年 12月 20日

【教育遺伝子】

…人に何かを教えたくなる遺伝子。あなたにも眠っているかも?
<例のコラム>
 父は教育者だった。
 小学校で三十数年教壇に立った後で大学で学生たちに教育の
現場を教えるためにさらに数年大学の教壇にも立った。
 その教育者としての遺伝子が確かにあるらしく、僕も人に何
かを教えるのが好きなようだ。先日も、ある建主候補の方がい
らっしゃった際に、あまりに詳しく建築家との家づくりの大切
なポイントを語ろうとする僕を見て、傍でそれを見ていたスタ
ッフが後でいい意見をくれた。建主候補は“お客様”として来
場しているのに、それに対する僕の態度は客扱いではなく、教
え諭すという感じだったので、お客さん的には違和感があるの
ではないか、というのだ。
 なるほど! もっともだ。気をつけよう! と素直に納得す
ればいいのだが、そこがどうもうまくいかない。そもそも僕は
建主候補者をお客様とは思っていない節がある。お客様とは思
っていなくて、「共鳴関係にある人」というような感じになれ
ればいいなあ、と思っているのだ。そこで、ついつい良かれと
思って「いい情報」を教えてしまう。
 今日は、九州大学の学生たちに講師として「いい情報」を教
えてきた。
 年に数回、こうやって学生たちに家づくりの「いい情報」を
教えるのは僕にとっても情報を整理するいい機会なので役に立
っている。
 今回の講義の内容は「スローハウジング/失われたプロトハ
ウスを求めて」。フランスの文学者プルーストの「失われた時
を求めて」にひっかけたタイトルである。
 僕の推進している活動を、日本の家の失われた基本形を探し
求めるものとして位置づけ、そのために雑誌をつくったり、著
作活動をしたり、マッチングシステムにインクルーシブデザイ
ンの手法を取り入れたりとしてきた足跡を語り、その都度の気
づきと新たなチャレンジがスタートしたことに言及した。実際
にプロデュースした住宅をスライドで見せながら、その隠れた
顛末となぜそうなったのかという人生のシナリオについて触れ
家づくりの可能性と未開の部分を語った。大戦とその後の高度
経済成長を経て失われていった日本の住宅の在るべき原形は果
たして再生されのか? 僕の教えの上に、学生たちがさらなる
イマジネーションを描くことを僕は期待して、そのヒントとな
るような発想の着眼点をちりばめたつもりだが、うまくいった
かどうか?!
 ただ僕の教育遺伝子だけは、そのとき活発に自律運動してい
たことだけは確かな事実である。
 
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by cafejien | 2007-12-20 17:43
2007年 12月 02日

【限界集落】

…消滅一歩手前の集落
<例のコラム>
テレビのサンデープロジェクトで「限界集落」について報道していた。
人口に占める老人の比率が高くなり、経済活動にも影響を及ぼしてもは
やその集落の存続が危ぶまれるようになった状態を限界集落という。
くだらないバラエティ番組や似たようなニュースが連呼するように垂れ
流される時代、テレビの真価が問われている。もっとこんな本当の情報
価値の高い報道こそが欲しいものだと考えさせられる内容だった。
番組では、日本の食料自給率が40%を割って、39%になったとも報じ
ていた。やがて水不足が地球規模の深刻な事態を招くだろうと指摘する
専門家もいるが、食料と水は切っても切り離せない。この先、この国で
は安定した食生活が約束されるのだろうか。
番組では、限界集落に陥った主因が国の林業政策にあるとし、補助金目
当てに地方の市町村が天然の広葉樹の森を切り開き、次々に針葉樹を植
樹していった事実を挙げた。その挙げ句、林業政策の行き詰まりでお金
にならなくなった針葉樹の森が放置され、台風でもないのに土砂崩れが
起っているということを伝えた。
針葉樹の森とは、杉や檜を人工的に植樹した森のことである。杉や檜は
無垢の構造材として「地元の木で家を建てる運動」や「地産池消活動」
の一環として、今でも“国産材にこだわる”工務店などによって使われて
いるが、おそらくそれでは需要供給のバランスを保つという経済レベル
にまでは追いつかないのだろう。経済という視点では、一般的にはどう
しても、価格的に安い外材が使われがちなのである。また、性能という
点では、カナダ栂や米松などのほうが強度的に構造材には適していると
指摘する工務店もある。
いすれにしても、20年後、30年後を見誤った林業政策のツケが巡り巡
って限界集落は誕生したのだろう。この根本には、日本という国をどう
創造していくのかというビジョンが不可欠である。そこには、森林国で
ある日本の国土や自然環境の中では、どのような住宅を建てることがい
いのかということと、どうも右に習え的模倣習慣のある国民性という二
つの側面を見据えて想像をすることが必要であったと僕は思う。つまり
ダイナミックなマーケティングとそれに基づく商品開発の思想が不可欠
だったのだが、誰もそんなことはしなかったし、今もしようとしていな
い。問題が顕在化してから後追い的に法律が変わるのは、建築基準法も
薬事法も同様である。官僚は他人事でしか物事を想像できず、偏った専
門家の声しか官僚の先の立法には届かない。
もっと現場の人の意見に耳を貸すべきなのに、この国ではそんな簡単な
ことさえできない。年末になると予算消化のために道路が掘り起こされ
る非効率的は贅沢ではなく国を脆弱化させるものなのに、数字を優先す
る行政とその甘い習慣の下でしか温々とできない土建体質も、その先に
限界集落を描いてはいないだろうか。
「200年住宅」という施策を国が推進しようとしているという記事を最
近読んだが、ここでも「200年」という数字だけが先走りしないことを
願う。大切なのは、この国の気候風土と国民性を鑑みた現場の知恵を活
かした商品企画だ。
番組では、ある村が国の押しつけのような林業政策をつっぱね、独自の
「複合経営」という理念をかかげ、針葉樹ではなく広葉樹の森を増やし、
シイタケや栗や茶などを生産できる“複合的な森”づくりを進めた結果、
近隣の市町村が限界集落を多く抱えるのに対し、その村だけは限界集落
がひとつもないことを報じていた。ある一人の森林組合長が断固として
国の意見に首を縦にふらず365日事務所に泊まり込んで森づくりの在り
方を村民とともに考えたたのだという。その強烈なリーダーシップに涙
もろい僕は感動の涙をうっすらと浮かべつつ、「シイタケの生産日本一」
にまでなった我が村の今と歴史を誇らしげに語る元気な村民たちの笑顔
をブラウン管越しに観たのだった。この素敵な笑顔たちに比べ、殺風景
な事務室の中でインタビュアーに対し「これだけの木材生産ができるだ
けの林業政策を実現できたのだから、我々の政策は決して間違ってはい
なかった」と語る林野庁の職員のなんと力のなかったことだろう。
その小さな村の森林組合長の想像力は、林野庁のエリートたちの想像力
を遥かに超えて豊かだった。その村の人は誰しもがその男のことを尊敬
しているのだ。
「あの人がつくった森で、僕らはこの土地で獲れるものをしっかりと作
り続けるだけです」
と笑顔で語り、シイタケ栽培農家の人はこんもりとした森を見上げた。
非専門家に、紙の上の数字だけを追わせる想像力の欠片もないこの国の
限界は、今、至るところで噴出している。
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by cafejien | 2007-12-02 15:20