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2007年 01月 25日

【アイデアと実践】

…思うは易し、行うは難し、されど、行いたし。
<例のコラム>
 昨年は思ったことの半分も実現できない年だったので、今年は
どしどし事を進めようと鋭意努力はしておるつもりのはずなのに
なんとも実にいろんなことに時間がかかる今日この頃です。
 つまり「アイデアが浮かぶ」のと「それを実践する」のとでは天と
地ほども差があるということです。「アイデアと実践」、それを肝に
銘じていきましょう。
 ということで1月17日は札幌に行ってきました。ここでは、新連携
といって中小企業基盤整備機構というお役所が進めるプロジェク
トの一つに参加していて、その会議が行われたのです。このプロ
ジェクトは「木とアルミの複合カーテンウォール」を全国的に普及さ
せる中小企業の連携による(これが新連携!)ビジネスモデルです
が、全国の建築家や工務店に対してプロトハウス事務局が、この
『美しい窓(カーテンウォール)』をつくるためのテクノロジーを発信
していこうと取組んでいます。詳細はいずれ!乞うご期待を。
写真は札幌駅前で撮った交番です。これも「アイデアと実践」がか
け離れているようにも見えるのですが、まー怖くない交番があって
も入りやすいからいいのかな〜。
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1月22日には神戸に行ってデザインショップの一部リニューアルの
打ち合わせをしてきました。神戸地区でもプロトハウスの建築家た
ちを紹介できるコーナーができそうです。面白いイベントも企画でき
そう。関西の皆さん期待してください。
 帰りの新神戸駅で空を見上げたら、枯れた雑木林があって、姿は
見えないものの数えきれないくらいの鳥たちの鳴き声がそこから僕
に向かって降ってきました。
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実は21日から風邪を引いていて体調が今一つだったのですが、今
朝目が覚めたら再び意欲がみなぎっていまして、久しぶりのブログと
あいなったわけです。
 昨日は建築家たちと集まって、そこに九州大学の平井先生や坂口さ
んも参加し5月に行うブルースカイミーティングというイベントのための
打ち合わせをしました。これは、相当面白くなりそうです。アイデアと実
践が伴うよう仲間たちとスクラム組んでいきます!!東京や大阪でも必
ず行いたい企画ですが、基本を固めるまで、ちとお待ちくださいね、待
ってる人がいたらの話。
 セカンドリビングという介護事業所付き高齢者住宅のプロデュースも
スタートしたのですが、これはその専用ブログつくったので、時々チェ
ックしてみてください。
 で、今日またまは新しいアイデア思いついたのです!! が、これはまだ
まだ卵の卵なので、口にはしますまい。でもいいアイデアなんだな〜と
一人ごちる今日この頃なのですが、そうそう、「アイデアと実践」の教訓
を忘れぬようにせねば、ね。
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by cafejien | 2007-01-25 01:06
2007年 01月 11日

【兎の涙】

…寂しがり屋さんはいつも誰かに甘えたいものです
<例のコラム>
 以前にこのブログで紹介した我が家の兎、モウちゃんは
まだ生きています。確かあと1、2年の命とご紹介したと記
憶しているのですが、まだピンピンしています。今年で8歳
にはなろうかという男子ですが、文字通りピンピンしている
のです。しつこくピンピンと書くのはいわゆるピンピンだから
です。
 で、昨夜、モウちゃんの糞を掌にのせてまじまじと観察し
たら、それが涙のカタチをしていたのです。色は、黒砂糖
でつくったような黒茶色です。表面はゴツゴツとしていま
すが、よく見ると穀物の残骸のようなものが浮き上がって
います。臭いはなく固まっているので掌にのせても大丈夫!
 頭をなでなでしてやると後ろ足をデレーと投げ出して万
歳うつ伏せ状態になるモウちゃんですが、無理やり抱っこさ
れたりして苦しかったりすると、「キュルルキュルル」と泣き
ます。泣きますが決して涙を見せることはありません。涙を
見せないからといっても薄情なわけではありません。あの
つぶらな瞳から涙が流れるということがないだけなのです。
 この糞は、兎の涙です。
 兎は目から涙を流すのではなく、こんなカタチでしか涙を
見せないのです。寂しがり屋で恥ずかしがり屋の兎は人の
気を引こうとして涙の糞を出すのです。
 それは兎にできるせめてもの自己主張。
 モウちゃん、最近はよくリビングのソファの上にいっぱいの
涙を流します。数年前まではそんな粗相はしなかったのに
この一年は特に顕著になりました。ソファの上にはコロコロ
と黒茶色の涙が散らばっています。
 その度に
「モウちゃん、ダメだよー!!」と叱られてモウ小屋に入れられ
る始末です。小屋に入れられるとき「キュルルキュルル」と泣
きます。その声は「寂しいよ〜」と訴えているようにも聞こえま
す。
 兎の涙は、寂しがり屋さんが甘えたいと訴えているサイン
です。
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by cafejien | 2007-01-11 15:55
2006年 12月 20日

【玄米の家】

…玄米をおいしく食べさせてくれる萩尾さんちの自宅カフェ。暖っかいよー
<例のコラム>
 昨夜、「玄米の家」に行ってきました。
 「玄米の家」を開いている萩尾さんたちに共鳴する人たちが集まって新しい
活動をしていこうということになって、その話し合いが行われたのです。
 話し合いといってもバーベキューをしながらワイワイ話し込んだだけなので
すが、近い将来のNPO化を視野に入れて、この集まりのめざすところを明快
にしていこうということになりました。こんな風に書くと、議事録的ですが、そん
な感じの話になった、という程度です。お肉やタマネギやカボチャなどが次々
に焼き上がってくるし、子供たちはワーギャー叫ぶし、その片隅でちょっとだけ
真面目に話し込んだのでした。
 写真は、ほぼ食べ終わったときの全員集合の絵。玄米の家では、いつもこん
な笑顔が輝いています。
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 玄米の家では昼時の玄米定食の他にもケーキやパンを購入することができ
ます。もちろんすべて手作り。甘さとカロリーを抑えた抹茶チーズケーキは一
見したらシフォンケーキのようですが、抹茶とチーズの香りがほんのり程よく
ミックスされていてオススメの一品です。来春からお菓子たちも本格的に販
売を開始する予定ですのでご期待ください。
 真ん中の青いトレーナーを着ているのが温(あっ)ちゃんです。その横で弾け
んばかりの笑顔になっているのがお母さんの華世さん。萩尾さんたちの周りに
はいつも素敵な人々が集まってきます。
 この玄米の家の活動には僕も積極的に参加していますので、なにかお尋ね
になりたいことがあったら、いつでもお問い合わせください。
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by cafejien | 2006-12-20 17:58
2006年 12月 17日

【遠足の朝3】

 夜が明けるまで僕は一睡もできませんでした。目の周りは赤黒く
腫れ上がり、顔全体が熱を帯びています。それよりも床に押し付
けられ思うように殴られたことでの屈辱感が体中に沸々としていて
ある意味、僕は興奮していたのです。G君に復習する場面を何度
も頭のなかで反芻し、その度に、Gくんの正気を欠いた透明な眼
差しが思い出されるのでした。
 Gくんを倒すにはGくんを殺すしかない。一度や二度、 Gくんに喧
嘩で勝ったところで、執念深いGくんは必ずや僕に挑みかかってく
るでしょう。その度に僕らは戦闘を繰り返すことになるのです。復讐
には復讐という暴力の連鎖がそこにあるのです。堂々巡りの想像の
なか、結論すれば、僕にはその選択肢しか浮かびませんでした。
相手を殺すとは何か? 僕は思いました。それは、今の僕のすべて
の人生を捨ててしまうということだと。僕がGくんを殺せば、Gくんの
父母はもちろん、僕の父母も兄弟も、一生、人殺しという呪縛のも
とで生きることになるだろう。たかが喧嘩に負けただけだろうと人は
言うかもしれませんが、15歳の僕はそんなことを真剣に考えていた
のです。
 外が青白く白んできたとき、かすかに訪れた睡魔のなかで、僕は僕
なりの結論に達しました。
 この人のためならば人生を失ってもいいという場合は除けば、もう
腕力をふるうことはやめよう、と。今思えば、なんだか恥ずかしい決
意ですが、正気を欠いた、つまり「失うものを何も感じさせない」目を
前にしたとき、それに立ち向かい打ちのめすには、こちらもすべてを失
う覚悟がなければならないと感じたのです。
 それは、恐ろしい覚悟です。それ以上やるのならば、お前を切る!と
いう武士の覚悟です。
 この思いを胸に抱くことで、15歳の僕はなんとか精神のバランスを
保ったのでした。僕は決して喧嘩に負けたのではない、力の行く先を
見切ったのだ、と僕は自分に言い聞かせました。
 翌朝は学校の遠足でした。家族にあまり顔を見らないようにぎりぎりま
で布団に潜り込んでいた僕は、ガンガンと音のする頭をかかえて起き
上がり学校へ行きました。
 学校ではあまり人と話さないように心がけました。いろいろと聞かれる
と答えるのが面倒です。目的地への行き帰りや弁当の時間など、先生
と顔を合わさないようにしました。目の周りは赤黒く腫れ上がっている
のですが、意外に誰も不審には思わなかったのか、何も感じないよう
に殻に閉じこもっていたのか憶えてはいません。
 Gくんとはクラスが違ったので、それ以上、どうということはありませんで
した。今から30年以上も前の中学生時代にも、いじめはあったのでしょ
うが、それが原因で僕がいじめの標的にされるということはありませんで
した。
 それ以来、僕はただの一度も腕力を用いる喧嘩をしたことがありません。
その先に、ある種の恐怖があることを知っているからです。腕力はとどの
詰まりはヤルかヤラレルかなのです。それは戦争も同じです。
 Gくんはその後、高校生になっても連戦連勝で、ついには高校を中退し
ました。負けるわけがないのです。彼は負けを認めることなく執拗に襲い
かかっていくのですから。
 Gくんの周りにはいつも、ちょっと悪そうな取り巻き連中がいました。その
取り巻きの一人と僕が思い込んでいた男子生徒とその15年後くらいに
同級会で再会したことがありました。
「お前があの遠足に出てきたのには驚いた。あんな顔して来たから、みん
なお前に一目置くようになったとばい」
 酒が回ってきた彼はそう言って笑いました。
 僕もあきれるように「そうね、そりゃ嬉しかね」と言って笑いました。
 遠足の朝、なんとか自分に言い訳をしてそこにやってきた僕のことを観
ていたヤツがいたことに、僕は一人で乾杯したのでした。
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by cafejien | 2006-12-17 17:15
2006年 12月 05日

【遠足の朝2】

 先に相手を殴ったのは、なんと僕のほうでした。
 しばし口論し互いの胸ぐらを掴んで対峙した直後にGくんの左頬
めがけて僕はパンチを放ったのです。腕力への自信が勝てるよう
な錯覚を僕に与えたのです。
「ガツッ」と見事にヒットしたものの、それ位で倒されるGくんではあ
りません。
「なんやー」という怒鳴り声とともに応酬してきます。ものすごい形相
ですが、離れて戦っている分には背丈に勝る僕のほうに有利です。と
ころが腰に組みつかれてしまい、足を払われた僕は床に倒れてしま
いました。その上に馬乗りになったGくんが僕の顔面にパンチを浴び
せてきます。いわゆる格闘技におけるマウントポジションというやつで
す。両手で顔をカバーしながらGくんのパンチから逃れようと僕はも
がくのですが、その間をぬってGくんのパンチは次々に僕の顔面で炸
裂します。そのときです。僕は観たのです。Gくんの目がうっすらと涙
を浮かべたようにきれいに透き通り、暗く果てしない闇がその奥に広
がっているのを。それは正気の目ではありませんでした。何もない、何
も考えていないとしか言えないような、まるで生気のない透明な闇
が僕の上にあったのでした。
 僕は考えました。この男に勝つにはなんとかしてマウントポジションか
ら逃れて立ち上がり、武器を使って相手を叩きのめすしかない、と。横
に椅子の足が見えます。これを使って剣道スタイルに持ち込めば、圧
倒的に僕は優位に立ち、子供を相手にするように軽く勝利することが
できるだろう。眉間の辺りを殴られながら僕はそんなことを考えていま
した。この無機的とも言えるほどの透明な闇に満ちた目をした男に勝つ
には、完膚なきまでに相手を叩きのめし、場合によっては相手を殺して
しまっても仕方ないくらい僕自身が正気を失うしかない。僕はそう思っ
たのです。
 そう思った瞬間、僕の両腕からは力が抜けていきました。眉間を殴ら
れるにまかせ、僕は抵抗をやめました。
「悪かったて、言えー」
 Gくんの声が遠くから聞こえます。
「悪かったて言わんか、こらー」
 僕は放心したように、Gくんに謝ったのでした。
 
 喧嘩が終わって、僕と友人のNくんは教室を後にしました。ボコボコに
殴られた僕は家に帰りつくまでNくんと一言も言葉を交わすことはありま
せんでした。Nくんもどんな言葉をかけたらいいのか解らなかったのです。
 家に帰ると、息子の顔の異変に気づいたのは母親でした。僕はなんの
事情も説明しなかったのですが、寝る間際に僕に向かって母親が「する
が堪忍、せぬが堪忍」と諭すように呟いたことは、なんとなく覚えています。
眉間を中心にして思う存分殴られた僕の顔は赤黒く腫れ上がり、顔中が
熱を帯びていました。
 よりによって明日は遠足という日でした。この顔のまま遠足に行けば、級
友や先生からなんと言われるか解りません。しつこく聞かれた挙げ句に、
喧嘩に負けたことが学校中に知れ渡るのです。
 遠足に行こうか、行くまいか。僕は一睡もせずに考えたのでした。

                                                                                 ・・・続く。
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by cafejien | 2006-12-05 19:53
2006年 11月 30日

【遠足の朝】

‥ボコボコに殴られたって遠足には行こう!
<例のコラム>
 腕力にめざめたのは中学一年生のときです。
 小学生の頃までは人と殴りあうなんて、そんなことを自分が
するなんてとても想像さえできませんでした。
 それが何のきっかけだったのか、ある日、偶然にも人を殴っ
てしまい、その相手を怯えさせ、結果的には喧嘩に勝ってしま
ったのです。特に喧嘩が強い相手ではなかったのですが、そ
れを入り口として、腕力という新たな、それも一瞬にして相手を
黙らせる言語を獲得していったのでした。剣道をしていたことも
あり、武道における間合いの取り方には人一倍自信もあったよ
うに思います。
 けれど、それ以上に腕力に頼る世界に陥ることがなかったの
は、これも剣道をしていたからかもしれません。現代の剣道の
世界では相手に一本を決めて勝負に勝つことはあっても、息の
根を止めるまで相手を叩きのめすことはないのです。
 自分の中にある程度の腕力による可能性を感じながら、僕は
中学3年生になっていました。この事件は、そんな僕のなかの可
能性が引き寄せたものだったのかもしれません。
 ある日の昼休みでした。僕は友人たちとふざけあっていて、廊
下側から教室に向けて窓から身を乗り出していました。その肩が
Gくんの肩に触れたのです。おそらくは、まるでGくんがそこにい
たことなど全く気づかなかったかのように。Gくんとは小学生の頃
からの知り合いです。負けず嫌いのGくんは、喧嘩になってたとえ
涙があふれてきて誰の目にも敗戦が明らかなのにも関わらず、
泣きながらでも死に物狂いになって相手が根負けするまでしがみ
ついていくような男の子でした。その結果、否応なしに誰もが一目
置く存在になっていたのでした。
「なんか、こらー」
 Gくんの低い声が威嚇するように僕の耳元に流れこんできまし
た。Gくんは怒っています。
「ごめん、ごめん」
 僕はとっさに謝りました。その軽い謝り方がGくんの自尊心をさ
らに刺激したのか、Gくんの顔は、それはそれは恐ろしい形相を
呈していました。
「うったくっぞ、わらー!!!」
 最高に攻撃的な怒声がGくんの口から飛び出してきます。
「うったくっぞ」という言葉は、「ぶんなぐるぞ」という意味の熊本
弁です。僕の生まれた人吉市は鹿児島と宮崎の県境にも近い
ので鹿児島や宮崎のイントネーションや方言も混じりぎみです
から、正確には熊本弁とは言いがたいかもしれません。「わらー」
とは、「お前ー」という意味で、河内弁で言うところの「われー」に
相当します。標準語に訳すと「殴っちゃうぜ、きみー」となって迫
力ないことこの上ないのですが、そのときのGくんの怒声には鬼
気迫るものがありました。
 しかし、そのときは昼休みが間もなく終わるということもあって事
なきを得たのですが、僕は放課後の教室に呼び出される羽目に
なったのでした。
 放課後、約束の時間に僕は教室に行きました。心配してついて
きてくれた友人のNくんといっしょに、教室に入った僕の目の前に
は、Gくんとその取巻きの姿が飛び込んできました。
 間もなく、血で血を洗う決闘がはじまろうとしていたのです。
                                   続く・・・
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by cafejien | 2006-11-30 01:23
2006年 11月 18日

【大人の躾】

…大人がちゃんとしないと、ね。
<例のコラム>
 自殺する子供たちのことが報道されない日がありません。
いじめによるものが大半という印象ですが、そうではない、
世を儚んでというものもあるような気がします。希望を感じ
ることができない“つまらない”世の中だから、“死んじゃおう”
という短絡的な死も多いような気がするのです。
 いじめられている子供にも、世を儚んでいる子供にも、も
っと大人たちが手を差し伸べてあげるべきなのに、それが
できていないのは何故でしょうか?
 その原因の第一に、あまりにも大人たりえていない、つまり
大人としての躾が身に付いていない大人たちが多いからで
はないかと思います。
 人としての美しい行動や立ち居振る舞いができるのを躾と
すれば、今の大人たちは、ご都合主義でエゴイスティックで
とどのつまりは美しくない、見苦しい姿を子供たちに見せつ
けているのではないでしょうか。
 だからこそ、大人の躾が大切です。
 大人の躾は誰がするのでしょうか? それは理想的にはその
大人の親がすべきですが、大人の親たちは高齢化しており、
もはやその気力も体力もありません。では、誰がすべきか。
 そうです。自分でするしかないのです。ご夫婦の場合は、自
分たちで、在るべき大人像を思い描き、自分を律していただ
きたいと思います。偉そうに言っているのではありません。僕自
身も常にそうやって自らを律し、なんとか躾の身についた日常
をおくっているのですから。
 身を美しくする。美しく生きる。そんな意味において僕が自ら
を躾けているルールは三つあります。
 まずこちらの都合を相手に押し付けないこと。世の中には強
者もいれば弱者もいて、中には平凡に生きたいと願う方もいる
ので、それそれにそれぞれの都合があり、一方的に押し付け
られたのでは調子が狂ってしまいます。子供たちに対しても同
じで、昨今は夜遅くまで子供たちを起こしておく親がいますが、
あれなど大人の時間都合に子供を巻き込んでいるいい例で、
成長期の子供たちの調子を狂わせている最大の原因ではな
いでしょうか。特に幼少期の睡眠不足は情緒不安定に直結し
ているように思います。
 次に「筋を通す」という生き方を自らが実践すること。有名な数
学者がテレビで「いじめは卑怯者がすることだ。だからしては
いけないことなんだということを、親が教えないからいけない」
とおっしゃってましたが、まさに同感です。そんな初歩的なこと
をはじめ、きちんと筋を通すという生き方を自分が行い、それ
こそが正しい人の在り方であることを、大人は子供に教えるべ
きだと思います。
「筋を通す」のは大変です。経済原理主義な上に杓子定規な社
会において自分の意見を明確に意思表示し、間違ったことには
意義を唱えこれが正しいのだと胸をはるのはどんなにか勇気と
時間がいることか!! でも、躾を身に帯びた大人はそれをしなけ
ればなりません。
 最後に、自分なりの「後ろ姿」を魅せる、ということです。ここら辺
が今風です。なにせ現代はコミュニケーションの時代ですし、デ
ザイン感性が求められています。そのことを大人は意識して、意
図的に自分なりにカッコイイと思っている後ろ姿を世の中に、なか
んずく自分の子供たちに魅せるのです。それは、ただがむしゃら
にがんばる姿でもいいのです。真剣に、一生懸命に、大人として
自分の信じた道を歩いていきさえすれば、その「後ろ姿」は、子
供たちに美しく、頼もしく映ることでしょう。
 大人の躾で自らを律し、美しく生きる大人たちが増えたとき、子
供たちは、自分の目の前に、温かな手が数多く差しのべられて
いることに気づくことでしょう。
 そこには、問題が起ってから、“言い訳”のようにあたふたする見
苦しい大人の姿ではなく、凛とした大人の佇まいがあります。
 大人たちが、きちんとした大人になれば、子供たちも豊かな感
受性と可能性に瞳を輝かせる、本来の子供たちにもどることがで
きるはずです。
 そうすれば、短絡的に死を選ばざるえないという悲しい事件は減
少します。
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by cafejien | 2006-11-18 12:02
2006年 11月 06日

【生放送】

…それは人生そのものかも、ね。
<例のコラム>
 11月4日、NHK総合テレビの「つながるテレビ@ヒューマン」にゲストコ
メンテーターとして出演しました。
 生放送は初体験だったのでかなり緊張するかとすこし不安はあったの
ですが、意外とすんなりと楽しむことができました。これが年甲斐という
やつでしょうか。家に帰ってビデオで自分を観ると、年相応の落ち着きも
あって(かな?)、その舞台裏が大変だったことなんて想像できないほど
です。
 その舞台裏とは・・・・・。
 生放送は時間との戦いです。ディレクターと島津アナを中心に臨機応
変に時間配分が変更されていきます。現地には紅葉の取材も出ていま
したし、山古志村の住民の方とは電話もつながっています。つまり、まさ
にオンライン、生中継、リアルタイムまっただ中なのです。タイムキーパー
からの連絡を確認し島津アナが的確にコメントしていきます。時間の都
合でコメンテーターの話がカットされると、島津アナはそのことをゲストに
お詫びするという気配りも忘れません。台本に時間のチェックを入れなが
ら、ゲストの気持ちにも手を差しのべる気づかいの細かさ、すごい!の
一言です。その点、ゲストは自分のコメントに集中すればいいのである
意味楽かもしれません。大変なのはスタッフたちです。カメラさん、照明さ
ん、音声さん、タイムキーパーにディレクターさんが1時間の世界を共同で
つくりあげていきます。それは人生と同じです。いろんな人間が関係して
人生の一場面一場面が出来上がり、過ぎ去っていくのと同じです。ゲスト
として出演していて、おそらく客観的に観る立ち位置に座ることができた僕
はそんなことを感じていました。
 履修問題についてコメントし最後の発言が終わると、正直ほっとしました。
画面にむかって手をふる僕の笑顔は安堵に満ちていました。
 番組終了後、出演者で記念撮影をし、スタジオを後にしようとしたとき、
スタッフの皆さんからはねぎらいの拍手が送られました。
 島津アナ、そして番組スタッフの皆さん(なかでも阿部さんと下川さん)、
ありがとうございました。共に出演したバイオリニストの吉田恭子さんにも
感謝です。福岡でリサイタルがあったら必ず聴きにいきますからね!!
 つながるテレビ@ヒューマンは、NHKならではの細かな現地取材をベース
とした良質の番組です。念入りに取材したVTRがしっかりと放送されるので
ゲストのコメントはどうしても短くなりがちですが、そこはゲストの腕の見せ所、
ショートコメントの中に豊かな思いを込めるしかありません。これからも、もっ
ともっと良質のヒューマンな番組づくりに期待したいと思います。今度出演し
たら僕ももっと心が温かくなるようなコメントを心がけるつもりです。
 この生放送に、僕の1時間の人生がありました。
 そして、視聴者の皆さんにも、そのときの1時間の人生がありました。
 人生は生放送です。誰に向かって自分を放送するのか、じっくり考えて豊か
に楽しく生きていきましょう。

◎@ヒューマンのサイトはこちらです。
 http://www.nhk.or.jp/human/
 左が島津アナ、右が吉田恭子さんです。
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by cafejien | 2006-11-06 19:55
2006年 10月 31日

【履修ショック】

…履修不足問題は高校生たちの心にショックを与えた
<例のコラム>
 高校生3年生になる次女は今まさに受験モード。通って
いる高校が非常に真面目な学校なので、朝早くから夕方ま
で補講も含めみっちり勉強して家に帰ってきます。夏まで
は部活に打ち込み、秋は運動会のダンスで青春を燃焼して
いた彼女は、家に帰ってきて夕飯を食べるなりリビングで
眠り込んでしまう毎日をおくっていました。さすがに受験
モード一色になった最近は家でも娘の勉強している姿を見
ますが、それまでは、この娘は本当に受験生なの?という
生活でした。だって僕が見るのはリビングで眠り姫になっ
た娘の姿だけだったんです!!
 そんな娘に最近の履修不足問題のことをきくと、
「あんなことするなんてズルいよー」という返事が返って
きました。娘いわく、うちの学校は超真面目なので必修科
目はすべてちゃんと履修している、なのに受験に必要な科
目だけ履修させるなんて「学校が」ズルい!! 
 娘に限らず、今の高校生たちはみんな履修ショックに見
舞われています。ある一部の大人たちの都合だけでつくっ
た学習指導要領が受験という現実とうまく整合性がつけら
れず、建前と本音という大人社会的手法を使って片付けら
れてきたことのツケが噴出し、子供たちの心に精神的な動
揺を投げかけているのです。
 これは、教育界の問題ですが、後になってそのツケが表
面化してくる問題は、どんな業界にも眠っていることでし
ょう。それは建築の世界も同じです。今は表層をとりつく
ろっていますが、10年後に問題になるようなことがたく
さんあります。みんな気づいているのに、なかなか言い出
せない。たぶん、そうです。履修不足も常識のある先生な
らばとっくに気づいていたはずです。
 このように事後処理的に物事が進んでいくのが日本の社
会の悪いところですが、このような矛盾は、根本的な改善
なくして本当の意味での解決にはなりません。大人はまず
矛盾を生み出している自分たちの社会のつくり出し方につ
いて子供たちに謝るべきでしょう。そこがスタートです。
単なる履修不足問題を謝るのではなく、その矛盾を生み出
していることを謝るのです。でないと、子供たちはすっき
りしないはずです。彼らは、矛盾だらけの大人たちの態度
を見るのはもううんざりしています。学級崩壊や、いじめ、
子供による犯罪の急増は大人社会が冷たい鏡に映し出した
悲惨な姿なのです。
 教育基本法の改訂にしても、このような事後処理的な改
訂では効果がありません。子供の感性や可能性を豊かにす
るにはどうすればいいのかを想像的に考え、その新しい教
育ビジョンを実現するために必要な基本的な法律という視
点で発想しないと、夢も味気もないものになってしまいま
す。たとえば子供たちの感性を豊かに育むために演劇や建
築という想像力を逞しくする、そしてお互いの些細な素質
でも褒めあえるカリキュラムをとりいれよう!という文化
的な視点がそこにあれば、それこそ「美しい日本」づくり
が可能になるかもしれません。こんな柔軟な発想は霞ヶ関
にはないでしょうねー。
 履修ショックは、僕にこんなことを考えさせました。
 大人社会の矛盾に苦しむ子供たちよ!それでも大志を抱
け。なかには、そんな子供たちの苦悩を知っている大人た
ちがいることをちょっと心の拠り所にして、それよりもな
によりも君たちにも同時代を生きる「履修の友」がいるこ
とを心に刻んで、今を強く生きなさい。

◎ここでご案内です。11月4日午後10時のNHK総合番
 組の@ヒューマンに僕がゲストとして出演します。生番
 組なので、ちょっと緊張し、たぶん超真面目に映るかも
 しれません。酒の肴に一杯やりながら、ご覧下さいませ。
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by cafejien | 2006-10-31 18:52
2006年 10月 19日

【セーフティルーズソックス】

‥大人の、男性のための、ノンプレッシャーなソックス。
<例のコラム>
 冬のソックスをはく季節がもうすぐやってきますねー。あの長~い
ソックスをはくと思うとちょっと憂鬱になります。ゴムが足首をしめつ
けて、ソックスを脱いだ後、ゴム跡が残った足首がかゆくなるのです。
かゆいので手でかきます。すると、足首に赤い輪っかができて、さら
にかゆくなっていきます。でも、かいてしまいます。すると、さらにさら
に赤くなって、それでもかくものだから、やがて血がにじみ出てきて・
・・・・・・。その悪循環がもうすぐはじまるのです。
 そんな独り悩みを密かに抱えた僕は、思い切って靴下の福助さん
に「大人の男性向けのゆるいソックスなんてできないでしょうか?」
と提案したことがあります。もちろん、オフィシャルではありません。
個人的に、メールにて、「ね~そんなソックスなんてできないでしょう
か?そんな需要はかなりあると思うんですけどね~」と切々と書きま
した。
 でも、ダメでした。
「ご提案ありがとうございます。しかし残念ながら商品化できそうに
ありません」
 福助さん、かなりいい会社です。
 夜中に足首をかきかきしながら、思い余ってメールした酔っ払いの
メールに丁寧に対応していただいたのです。その節は、ありがとうご
ざいました。
 でも、採用にならなかったので、再度、ご提案したいと、いやいや
お願いしたいと思っています。
 福助さん、お願いですから、足首ノンプレッシャーなソックスを商
品開発してください!そ、そうだ、ネーミングだ、ネーミングをちゃんと
考えて提案していないからいけないんだと思った僕は、ちゃんと考え
ました。
 ネーミングです、ネーミング。
 それは「セーフティルーズソックス」!!
 ルーズソックスとは、ご存知、ゆるゆるブルブル、なんともルーズな
あの女子高生御用達のヤツです。で、なぜセーフティがついているか
というと、メインターゲットである中高年はセーフティという言葉につい
つい安心してしまうからです。ネーミング別案としては、スーパールー
ズソックスなんてのもありそうです。中高年はスーパーにも弱いんで
す。
 こんなことを考えなくていいくらい、夏の間はノンプレッシャーでした。
僕はあの短いソックスをはいるんですねー!!丈が短いので足首
までカバーすることなく、足の甲の辺りまでしかカバーしないので、ゴ
ムが足首に食い込んでプレッシャーがかかるということもありません。
 でも、時々困ったことが起こるんですねー。ゴムがゆるくなったショ
ートソックスをはいて歩いていると、途中でズルズルと脱げてきて、ソ
ックスが足の裏に降りてくるんですな。つま先に力をいれるようにして
気にして歩くんですが、ズルズルずれはじめるともういけません。とう
とう足裏の半分ほどまでソックスが降りてきて、落ち着かない変な気
分になってしまいます。むずがゆく、情けなく、いったい僕はなんでこ
んな思いをしているのだろうと思えてくるのです。
 そんな悲惨な状況を引き起こしたソックスのことを、僕はショートル
ーズソックスと呼んでいますが、この商品化はお勧めできません福助
さん。と、僕が言うまでもないことですね。
 でも、セーフティまたはスーパールーズソックスは必ずニーズありま
すから、今度こそ商品企画会議に真剣にかけていただきますようお願
い奉ります。
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by cafejien | 2006-10-19 23:16