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2007年 11月 08日 ( 1 )


2007年 11月 08日

【想像力】

‥誰がいつどんなことをして、誰がいつどんな目に遭うのか
<例のコラム>
 テレビで舛添大臣が「官僚にも想像力を養ってほしい」と発言していた。
今回の薬害C型肝炎訴訟にまつわる一連の騒動を背景にした指摘だが、
それから、今日原告の人々と初めて会い涙を禁じえなかったと訴えたまで
は「かつての管直人大臣の再来」的イメージで共感もしたのだが、その
直後「ですから国民の皆さんにも税負担などでご協力をいただくことにな
ると思うのでよろしくお願いしたい」「この負担を国民一人当たりに換算す
ると約200円程度になります。これで救われるのだから」という発言は、
まったく想像力がないものだった。
 では、このような問題を引き起こした官僚や製薬会社の責任はどこにあ
るのか、それはそのまま放っておいていいのかと僕は素直に思った。
 被害者の人たちは、もちろん保証も求めるだろうが、自分たちにこのよう
な人生を強いた国や製薬会社にどんな形であろうがまずは責任をとって
ほしい(とりわけ今すぐに謝罪してほしい)と望んでいるのではないだろうか?
 自分の体を元に戻してほしいと叶わぬまでも切ない望みを胸に抱いてい
るはずだ。
 この大臣の発言を聞きながら僕の頭の中に浮かんだ映像は、今までと
何ら変わることなく、人の生き死に関する仕事を、まるで他人事のように、
まったくの真剣味も感じさせることなくのんべんだらりとこなす厚生労働省
の官僚たちの姿だった。責任を取らないということは、責任をとらせないと
いうことは、そんな鈍感な人々や制度を世にはびこらせ続けることを意味
する。そんなことさえ想像できない大臣が、官僚にいくら想像力を養えと言
ったところで説得力のかけらもない。
 僕には舛添大臣の姿はただのパフォーマンスにしか見えなかった。(そ
のパフォーマンスの向こうに彼は自分が総理大臣になって記者会見して
いる場面でも想像しているのだろうか?)
 想像力を持って、この訴訟の行方を見守りたいと思う。
 この国の想像力が乏しいことは、今にはじまったことではないが、本当
の意味で日本のオリジナリティを再生し、独自の文化を醸成していくには
今こそ教育の中に想像力を養うカリキュラムを取り入れるべきだと思うの
だが、安倍前総理が自信を持って進めようとした教育改革にも、その件は
欠落していた。無理もない。想像力のない人たちが官僚的発想でもって三角
を四角に変えるべきでしょう程度の平面的な改革を整理しようとしていたの
であって、立体的にリアルに人の姿を想像しそこにどんな刺激を与えれば
どんな風に反応するぞ的な構成作家のような物語の発端から顛末までの
シナリオを描く想像力は働いていないのだから。
 小学生の時点に戻ってそこから想像力豊かな人材を育てないことには
この国は変わらない。官僚も、そこから再教育するしかない、と僕は極論
的に想像してしまう。
 僕が文部科学大臣だったら、小学校の教育に演劇と建築を取り入れたい
と思うが、どうだろう?
 生活の舞台となる住空間をつくり、そこでどのような物語が起こり、誰が
いつどんなことをすれば、誰がいつどんな目に遭うのかという悲喜劇を追
体験しておけば、現実に悲劇が起こってもその結末をどのように描けば人
として気高いのか、それくらいの想像はできるようになるだろう。
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by cafejien | 2007-11-08 00:22