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2006年 12月 05日

【遠足の朝2】

 先に相手を殴ったのは、なんと僕のほうでした。
 しばし口論し互いの胸ぐらを掴んで対峙した直後にGくんの左頬
めがけて僕はパンチを放ったのです。腕力への自信が勝てるよう
な錯覚を僕に与えたのです。
「ガツッ」と見事にヒットしたものの、それ位で倒されるGくんではあ
りません。
「なんやー」という怒鳴り声とともに応酬してきます。ものすごい形相
ですが、離れて戦っている分には背丈に勝る僕のほうに有利です。と
ころが腰に組みつかれてしまい、足を払われた僕は床に倒れてしま
いました。その上に馬乗りになったGくんが僕の顔面にパンチを浴び
せてきます。いわゆる格闘技におけるマウントポジションというやつで
す。両手で顔をカバーしながらGくんのパンチから逃れようと僕はも
がくのですが、その間をぬってGくんのパンチは次々に僕の顔面で炸
裂します。そのときです。僕は観たのです。Gくんの目がうっすらと涙
を浮かべたようにきれいに透き通り、暗く果てしない闇がその奥に広
がっているのを。それは正気の目ではありませんでした。何もない、何
も考えていないとしか言えないような、まるで生気のない透明な闇
が僕の上にあったのでした。
 僕は考えました。この男に勝つにはなんとかしてマウントポジションか
ら逃れて立ち上がり、武器を使って相手を叩きのめすしかない、と。横
に椅子の足が見えます。これを使って剣道スタイルに持ち込めば、圧
倒的に僕は優位に立ち、子供を相手にするように軽く勝利することが
できるだろう。眉間の辺りを殴られながら僕はそんなことを考えていま
した。この無機的とも言えるほどの透明な闇に満ちた目をした男に勝つ
には、完膚なきまでに相手を叩きのめし、場合によっては相手を殺して
しまっても仕方ないくらい僕自身が正気を失うしかない。僕はそう思っ
たのです。
 そう思った瞬間、僕の両腕からは力が抜けていきました。眉間を殴ら
れるにまかせ、僕は抵抗をやめました。
「悪かったて、言えー」
 Gくんの声が遠くから聞こえます。
「悪かったて言わんか、こらー」
 僕は放心したように、Gくんに謝ったのでした。
 
 喧嘩が終わって、僕と友人のNくんは教室を後にしました。ボコボコに
殴られた僕は家に帰りつくまでNくんと一言も言葉を交わすことはありま
せんでした。Nくんもどんな言葉をかけたらいいのか解らなかったのです。
 家に帰ると、息子の顔の異変に気づいたのは母親でした。僕はなんの
事情も説明しなかったのですが、寝る間際に僕に向かって母親が「する
が堪忍、せぬが堪忍」と諭すように呟いたことは、なんとなく覚えています。
眉間を中心にして思う存分殴られた僕の顔は赤黒く腫れ上がり、顔中が
熱を帯びていました。
 よりによって明日は遠足という日でした。この顔のまま遠足に行けば、級
友や先生からなんと言われるか解りません。しつこく聞かれた挙げ句に、
喧嘩に負けたことが学校中に知れ渡るのです。
 遠足に行こうか、行くまいか。僕は一睡もせずに考えたのでした。

                                                                                 ・・・続く。
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by cafejien | 2006-12-05 19:53


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